聖人になれずとも聖人を目指すことはできる。それが真人間である。

「聖人じゃないんだから」は「自分に対する許し」という甘え

本ブログでは正しく徳のある人間像・目指すべき正しい姿として、真人間の定義を以下のとおり提唱しています。

法令・モラルを遵守するとともに、公益性・全体利益を第一に考え、エゴ・我欲に走らない。

感情論や群集心理に流されず、常に論理的・客観的・俯瞰的な思考プロセスを持つ。

目的・ビジョンを定め、コツコツと日々努力・切磋琢磨し続け、決して諦めない。

怠惰・甘えは一切なく、現状に満足せず、実直・ひたむきに上を目指し続ける。



これらは正しい人間であれば出来て当たり前の事項です。しかし、これらを「まるで呼吸をするように」自然に実現している聖人もまた少なく、多くの一般人が現実的にこれらを実現するためには、努力と自制と自省が必要となります。

しかし、だからといって「聖人じゃないんだから」「人間だから仕方ない」という泣き言を許容することはできません。

このような泣き言を言う悪人は、「正しいことが何か」を理解しているにもかかわらず、その行動を行わない自分に言い訳をしているんです。「”正しくない自分”に対する許し」を自分で行っている。これは「怠惰」であり「甘え」であり「逃げ」です。



聖人になれずとも聖人を目指すことはできる。それが真人間である。

例え、結果的に聖人になれなかったとしても、日々切磋琢磨し、自身の行動を自省し徳を積んでいくことで、聖人を目指すことは可能です。一切の甘えは持たず、上を目指し努力し続けるのが正しい人間のあるべき姿です。

正しい行動を積み上げていった結果、老人になり没するときには「聖人に近い存在」になることはできるでしょう。公益性と全体利益に貢献できる喜びと、正しい行動を日々行い続けた努力と幸福感の中で個体として人生を全うすることができるはずです。

真摯に反省し改善しつづける意思があれば、人は必ず正しくなれます。例え、現時点では正しい行動が取れない悪人であったとしても、上を目指し努力をし続ける姿勢を社会は評価すべきです。



社会が許してはいけないのは自省せずに社会にエゴを垂れ流す害虫である。

一方で、自らのエゴや怠惰を許そうとする逃げ・甘えを繰り返しているクズや、自分がクズであるとわかっているにもかかわらず改善しようとしない害虫を許してはいけません。

このような恥知らずのエゴイストが暮らしにくい社会にしていくために、我々は「悪人は断固として許さない」という明確な姿勢を取っていく必要があります。





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このように注記しても書き込んでくる知性の低い人間が少なからずいるんですよね。あなた、本記事の批判対象のクラスターに属する人間ですよね?そして、この記事を読んで感情的になってるんじゃないの?その感情のまま勢いでコメントを書こうとしていますよね?感情論は一切ないと断言できますか?髪の毛一本ほどもないと断言できますか?


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