ブログ運営方針

背景と目的

昨今のインターネット、SNS、スマートフォンといった情報技術の進歩により、誰でも気軽にインターネット上で情報発信することができるようになりました。

しかし、インターネットの普及と比例するように、人間性に問題がある人間によるモラルに反する書き込み・コメントなどが、インターネット上に溢れかえっていると感じることも多くなっております。

このような状況を鑑み、少しでもインターネット上のモラルを改善することを目的とし、本ブログにて地道な啓蒙活動を行います。


啓蒙活動の手段と「真人間」の定義

本ブログでは主にインターネット上に配信される各種ニュースや記事を引用し、「人間性に問題のある行動」や「モラルに反する思想・価値観」を指摘・非難するとともに、「真人間=正しい人間」としてあるべき姿と改善の方向性を提示します。

本ブログにおいては、以下を「真人間」の必要最低条件と定義付けます。

法令・モラルを遵守するとともに、公益性・全体利益を第一に考え、エゴ・我欲に走らない。

感情論や群集心理に流されず、常に論理的・客観的・俯瞰的な思考プロセスを持つ。

目的・ビジョンを定め、コツコツと日々努力・切磋琢磨し続け、決して諦めない。

怠惰・甘えは一切なく、現状に満足せず、実直・ひたむきに上を目指し続ける。


簡単に言いますと、「人間」という「高度な知性と社会性を持つ生物」として、「出来て当たり前のこと」を当たり前に出来るようにするということです。

なお、有識者の方のご意見などを受け、その意見が公益性を有すると判断できる場合、定義の追加・修正を行います。


啓蒙活動の対象とする存在の定義

本ブログにて指摘・非難の対象とするのは、上述の「真人間」の必要最低条件を満たしていない人間・集団・組織・事象等となります。

具体的には、違法行為、迷惑行為、くだらない感情論、嫉妬・妬み僻み、傲慢、怠惰・甘え・弱音、強欲・エゴイズム、依存・他力本願などの「人間性に問題がある思想・行動」「非合理的な思想・行動」「社会性に欠ける思想・行動」となります。

なお、このような思想・行動を取る人間は 到底「高度な知性と社会性を持つ生物」とは言えませんので、本ブログにおいては「人間」としては扱わず、「社会のクズ」「サル」「愚鈍な豚」などの挑発的表現を用いることがあります。

知性の低い幼稚な人間に限って、挑発に乗り感情的になりやすい傾向がありますので、敢えて挑発的表現を用いることで「啓蒙の対象となる社会のクズ」をあぶり出し、効率的・効果的な啓蒙を行うことを狙っています。

見苦しい表現となってしまう事もあるかと存じますが、ブログ運営の趣旨をご理解いただけると幸いです。



勘違いしないでいただきたい点は、「”現時点で”真人間ではない事は、悪ではない」ということです。

”真の悪”は「正しい事が何か理解し、かつ、自身が真人間ではないことも理解しているにもかかわらず、”自身の弱さ”等を言い訳に改善の努力をしない」ことです。

啓蒙されることで、自身の悪性・弱さを見つめなおし、正しい人間になるべく、日々死ぬ気で努力し続ける事が肝要となります。




この記事へのコメント

  • 質問があります

    真人間に関して、
    社会性や人間性と、合理性が両立できない場合が必ずありますがそれについてはどうしますか?
    例えば、クローン技術は今の世の中では状況を考えれば諦めて別の方法を模索した方が隠れてやるより賢く社会性(?)を重視しています。ただクローン技術が禁止される合理的根拠は薄いように思えます(感情や宗教的)
    また、あなたの論調では既存の世界各国の倫理や道徳、モラルの概念は非合理的な部分が多く含まれ、あなたの理想とする社会の形成を妨げると思います。ですのであなたが考えるモラルの基準を新たに提案していただくことはできますか?クローン技術の例のように、人間は遺伝子やロボットに関してやや非合理的な倫理的規制を作りますよね?
    追加で思い出しましたが、死刑制度に関してはどうお考えでしょう?もし感情抜きで冷徹に考えたとしても危険分子は早く消しさるか極限まで強制労働させて利益を上げてから死なせるべきか二択ですし気になりました。
    2019年09月09日 01:00
  • 有田 正義

    ご質問の件、回答させていただきます(多忙につき回答遅れ申し訳ございません)。
    人類全体・社会全体の合理性を重視することが「社会性」であり、「社会性」を前提に行動できる人間であるかどうかが「人間性」ですので、両立は可能です。

    「モラル」とは法令などの明文化されたルールではないが、社会を正しく保つために必要な倫理規定と考えます。
    感情や宗教を理由に遺伝子操作やロボットを禁止する行為は、私に言わせれば「倫理」「モラル」ではなく「悪」です。禁止する声に対して断固として「No」と意思表示することが「道徳」「モラル」と考えます。
    現在の世界各国の倫理・道徳・モラルと呼ばれているものの中には、人類全体の利益に反する「悪習」「認知バイアス」「集団心理」などが含まれていますので、これは切り分けて考える必要があります。

    一方でモラルは「人類全体の利益・合理性を重視した正しい社会」という理想と、「理想が実現できていない現実・現状」との差を埋めるモチベーションになるものであると考えます。
    当サイトでは、そのような役割を担うものとしてモラルを定義しています。
    そのため、将来、世界が真人間に溢れ、全ての人間が社会全体の利益を考えて行動している状況になった際に、モラルという概念が役割を終えます。

    本質的な話として、「モラル」という概念は、ホモサピエンスが少数の村社会で生活していた環境に適応した際に獲得した進化特性であり、集団の規模が国家・世界と大きくなった現在では役に立たないものです。太古の村社会ではモラルという曖昧な概念を用いて、非合理的な異分子排除を行うことで、知能の低い村集団の統率を取れるという利点があったことが大きいでしょう。集団が肥大化し、オープン化・合理化・機械化が進んでいる現代では適応できない時代遅れの機能と言えます。
    逆に、全体利益への貢献が重視される社会に適応できない人間が、「モラル」を口実にエゴ・我欲を語ることが増え、デメリットの面が大きくなっています。
    なお、ご存知かと存じますが、モラル(正義感)の話は社会心理学者ジョナサン・ハイトの書籍にも書かれている話です。
    The Righteous Mind: Why Good People are Divided by Politics and Religion

    死刑制度については私は賛成しています。
    むしろ死刑にすべき基準を下げ、「社会に不要な人間」「社会のために努力しようとしない人間」をどんどん処分すべきと考えます。
    ただし、犯罪の性質・残虐性や遺族感情などを死刑の理由にする現行の制度(永山基準)には全く賛同できません。この基準が妥当に見えてしまうのは、前述したとおり村社会時代にホモサピエンスが獲得した認知バイアスによるものです。
    社会に与えるデメリット・リスクとメリット・利益を鑑みた合理判断(生かした方が有益かどうか)で死刑にすべきか決めるべきと考えます。例えば、凶悪犯罪者でも能力やスキルが高く社会に貢献できそうな場合は、死刑にせずに隔離環境で労働させるべきと考えます。

    ※他記事にコメントいただきましたが、記事の趣旨を理解していないコメント(ブログ内容と乖離)が多いのは把握していますが、現在は論点ズレがあまりにヒドイもの以外は承認しています。ご容赦ください。
    2019年09月15日 23:27
  • Mal

    この人のブログを長く読んでいるが、正直主張に納得できない部分があった。あたまおかしいのかなと。

    だがコメント内容と、最近流行っている進化心理学を学んで、やっとこの人の主張の本質が見えてきた。



    ・サピエンスは少数の部族社会を前提とした適応進化をしている

    ・だが現代はより大きな集団(国・世界・ネット)が社会活動の中心となっている

    そのため「サピエンスの機能」と「現代社会の現実」に乖離があり、様々な問題の原点はこの乖離を発端としている。社会不適合者の発生も、この乖離に起因するものだと。

    そこでサピエンスの遺伝子を、女王アリタイプの社会的生物に恣意的進化すべきというのが、この人の主張(おそらくサピエンス社会での"女王アリ"は人工知能が担うことになるのだろう)。



    人の精神性を重視することは美徳だと考える人が多くても、この人の主張するような「自己と集団の同一視」までいくと「行き過ぎ」「狂信的」に見える人も多いだろう。

    だが、例えばアリなど自然界には本当に個体が集団の部品でしかないような進化を遂げている生物がいる。



    また、犯罪者・弱者・障碍者・社会不適合者を処分してしまえという主張も目立つ。健康的で精神性が高く能力も高いサピエンスだけが生き残る世界は「優生思想」「多様性排除」に見えるかもしれない。

    だが、限定された遺伝子だけが生き残る生殖形態の生物も自然界にはたくさんいる。例えば単為生殖を行うアブラムシはほとんどが同じ遺伝子のクローンコピーだ。

    優秀な上位1%のサピエンスだけ残して、性差や性交による繁殖を辞めて、クローンコピーで増殖する生物に進化する選択肢もある。



    社会集団が大きくなり適応できなくなったサピエンスが動物としてどのように進化するのが良いかはこの人の主張だけが正しいわけではなく様々な意見があっていい。

    また、サピエンスの手でヘタなことはせず、生物として環境による適応変化(あるいは絶滅・淘汰)を待つという主張もあっていい。

    ただ共通して伝えたいことは、いま私たちの中の遺伝子に刻まれているサピエンスの適応進化の前提・生物的バイアスを除外して主張を読まないと、この人の言っている本質は見えてこないということ。

    この人が狂人に見える人は「人の目線」でしか物事を見ていない。

    2019年09月19日 21:17

この記事へのトラックバック